福岡地方裁判所 平成7年(わ)79号 判決 1995年11月08日
裁判所書記官
神﨑憲一
被告人
氏名
太田弘幸
生年月日
昭和二二年七月一七日
本籍
福岡市中央区赤坂一丁目一番
住居
同市中央区笹丘三丁目二七番一八号
職業
不動産賃貸業
弁護人
古川卓次
検察官
松原妙子
主文
被告人を懲役二年及び罰金五〇〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、平成三年一〇月三〇日ころ、自己の所有する福岡市博多区上牟田一丁目七番ないし一二番の六筆の宅地及び同区上牟田一丁目七番地、八番地、一〇番地及び一二番地上の建物を一五億円で売却譲渡したことに関し、右譲渡にかかる所得税を免れようと企て、架空の譲渡費用や保証債務を計上するなどの方法により所得を秘匿した上、平成三年分の総合課税の総所得金額は零円(実際の総所得金額一七三一万二八〇五円から分離課税の長期譲渡所得金額との損益通算金額一五八七万一〇八円と純損失の繰越控除額一四四万二六九七円とを差し引いた金額)で、分離課税の長期譲渡所得金額が八億六〇五七万九九六六円であったにもかかわらず、平成四年三月一六日、福岡市中央区天神四丁目八番二八号所在の所轄福岡税務署において、同税務署長に対し、平成三年分の総合課税の総所得金額が一五八七万一〇八円の損失、分離課税の長期譲渡所得金額が八〇一一万四四九五円で、これに対する所得税額が一七七三万一〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により、同年分の正規の所得税額二億一二八三万四七〇〇円と右申告税額との差額一億九五一〇万三七〇〇円(別紙脱税額計算書参照)を、免れたものである。
(証拠の標目)(括弧内は検察官請求証拠番号の略である。)
一 被告人の公判供述
一 被告人の検察官調査(乙二ないし五)
一 証人武田孝一郎の公判供述
一 武田孝一郎、鉄川吉郎(二通)、坂口停、青木広、原広治、阿部剛、三浦啓一の各検察官調書
一 武田孝一郎(三通)、鉄川吉郎(六通)、納富田由紀夫(二通)、波多江保明(二通)、青木広、原広治、一杉昌治、大津豊、松井博の各質問てん末書
一 検査てん末書(一一通)
一 脱税額計算書
一 閉鎖登記簿謄本(一〇通)及び登記簿謄本(六通)
(争点に対する判断)
一 弁護人は、本件確定申告にあたり、保証債務として申告した三億六七九五万九三八〇円のうち二億円は、被告人が、武田孝一郎のために福岡シティ銀行から借り受けたもので、実質的には保証債務であるから、所得税法六四条二項所定の保証債務として損金計上しうべきものであり、仮に、右二億円が右条項所定の保証債務に該当しないとしても、被告人はこれが損金として計上しうる保証債務と認識していたものであるから、これに対応する所得税をほ脱することについては故意を欠き、したがって、右二億円の損金計上についてはほ脱罪は成立しない旨主張するので、以下検討する。
二 関係各証拠によれば以下の事実が認められる。
1 被告人は、弘栄産商株式会社(以下「弘栄産商」という。)の代表取締役であり、父親が所有していた判示の不動産(以下「上牟田物件」という。)を賃貸して貸ビル業を営んでいたものであるが、父親の死亡により、上牟田物件を共同相続し、昭和六〇年に九州ファイナンスから四億五〇〇〇万円を借り受け、上牟田物件の兄弟の所有持分を買い受けてその単独所有者となり、次いで、昭和六三年に九州ビザから五億五〇〇〇万円を借り受け、九州ファイナンスからの借入金を返済した。
2 被告人は、株式会社オフィスサーティワン(以下「サーティワン」という。)の代表取締役である武田孝一郎に月五分の利息で継続的に金員を貸付けていたが、平成元年三月には、サーティワンが自社ビル建設資金として九州ビザから三億円を借り受けた際に連帯保証人となり、うち七〇〇〇万円について上牟田物件を担保提供した。
3 被告人は、平成元年末ころ、サーティワンへの貸付未収金が一億五〇〇〇万円に達したことから、武田に金融機関から融資を受けてこれを返済するよう求めたが、武田が融資を受けることができなかったため、福岡シティ銀行田島支店に自ら赴いて、被告人の連帯保証により武田に融資するよう交渉したものの、武田あるいはサーティワンの担保力不足のためにこれを断られ、結局、被告人が同銀行から二億円を借り受け、これを弘栄産商を通じてサーティワンに貸付け、うち一億五〇〇〇万円の返済を受けた。右二億円の返済は、武田が弘栄産商の銀行口座に月々の返済元利金に融資手数料名目の四〇万円を加算した額を振り込み、返済元利金を被告人の個人口座に入金して、同銀行に支払うという方法によって行なわれた。
4 被告人は、平成三年九月二九日、武田からサーティワンの手形が不渡りになると聞いたことから、司法書士の指示で、前記3の二億円の債権保全策として、平成元年一二月二八日付けの金銭消費貸借契約書を作成した。
5 平成三年九月三〇日、サーティワンが不渡り手形を出して倒産したため、被告人は九州ビザから前記2の三億円の連帯保証債務の履行を求められ、同年一〇月三〇日、上牟田物件を株式会社間瀬に一五億円で売却し、九州ビザに対する自己借入金五億五〇〇〇万円と連帯保証分三億円、福岡シティ銀行に対する借入金二億円の合計一〇億五〇〇〇万円を支払った。
6 被告人は、武田のために上牟田物件を売却した上、売却代金の相当部分を同人のための返済に充てることを余儀なくされたことなどから、その譲渡にかかる所得税をできる限り免れようと考え、二億五〇〇〇万円の架空の立退料、二五〇〇万円の架空の仲介料を作出するなどして、その旨の虚偽の領収書を税理士事務所の事務員に渡して、これらの損金計上を依頼した。
また、被告人は、弘栄産商に二億円の立退料を支払った旨の虚偽の事実を作出し、税理士事務所の事務員と相談の上、福岡シティ銀行から借り受けた二億円は、被告人が弘栄産商に貸付け、さらに弘栄産商がサーティワンに貸付けたものであり、弘栄産商から二億円の返済を受けるとともに、弘栄産商に同額の立退料を支払ったこととし、弘栄産商名義の二億円の領収書を作成した。
7 被告人は、サーティワン倒産当時、同会社若しくは武田に対する貸付金として、前記二億円のほか、手形を担保として貸付けた残債権が約八〇〇〇万円あったことから、これらを保証債務として損金計上できないかと考え、税理士事務所の事務員に対し、前記4の金銭消費貸借契約書を示して、賃金の二億円が実質的にはサーティワンの債務を保証したものであると説明したが、さらに具体的な説明を求められた際、福岡シティ銀行から借り受けた二億円については、既に、前記6のとおり、弘栄産商を通じてサーティワンに貸し付けていたものであると説明していたことから、昭和六〇年三月に九州ファイナンスから借り受けた四億五〇〇〇万円のうちの一億円と昭和六三年に九州ビザから借り受けた五億五〇〇〇万円のうちの一億円は、いずれも武田から頼まれて借り受けたものであって、実質的には保証であり、八〇〇〇万円は右二億円の利息で被告人が代位弁済したものであるとの虚偽の説明をし、事務員から、その旨の覚書を作成するよう指示されたことから、武田に右と同旨の内容虚偽の覚書を作成させ、税理士事務所の事務員に渡してその損金計上を依頼した。
さらに、手形貸付金八七九五万九三八〇円については、税理士事務所の事務員に対し、武田から依頼されて手形の裏書保証をし、その後手形を買い戻したものである旨の虚偽の説明をして、その損金計上を依頼した。
三 以上の事実関係によれば、弁護人所論の二億円は、被告人が福岡シティ銀行から借り受け、これを弘栄産商を通じてサーティワンに貸付けたものであって、同銀行、被告人、サーティワン若しくは武田との間に保証契約は存在せず、同銀行は、融資交渉の過程で、サーティワンを主債務者とし、被告人を保証人とする案を明確に拒絶し、専ら被告人の信用及び資産により融資を決定しているのであるから、実質的にも保証契約は存在しないというべきである。
むしろ、前記認定のとおり、被告人とサーティワン若しくは武田との間には、継続的な高金利の金銭貸借があり、本件二億円の融資は主として貸金の回収のためになされたものである上、サーティワンに対する右二億円の貸付についても、被告人若しくは弘栄産商は手数料名目で月々四〇万円の利息を得ていたことに照らすと、福岡シティ銀行、被告人若しくは弘栄産商、サーティワン若しくは武田との間には、名実ともに順次の金銭貸借が成立し、サーティワンの倒産により被告人若しくは弘栄産商の貸金が貸倒れになったことから、被告人が上牟田物件の譲渡代金により同銀行に対する自己の債権を返済したにすぎず、かかる場合において所得税法六四条二項を適用する余地がないことは明らかである。
四 前記認定のとおり、被告人は、福岡シティ銀行からの二億円の借り入れについて、税理士事務所の事務員と相談の上、これを弘栄産商を通じてサーティワンに貸付け、その返済金を弘栄産商の立退料として支払ったとして処理しているのであって、これを保証債務として損金計上した事実はなく、保証債務については、税理士事務所の事務員に対し、昭和六〇年の九州ファイナンスからの四億五〇〇〇万円を借入れ、昭和六三年の九州ビザからの五億五〇〇〇万円を借入れというサーティワン若しくは武田と関係のない借入れのうち二億円は実質的にはサーティワン若しくは武田の借り入れであって、被告人は実質的な保証人であり、八〇〇〇万円はその利息であるとの虚偽の説明をした上、武田にその旨の覚書を作成させて損金計上の資料としているのであり、加えて、手形貸付けによる貸倒金についても裏書保証である旨の虚偽の説明をもとに損金計上しているのであるから、このような虚偽の事実に基づく保証債務の損金計上のすべてについて、被告人に所得税ほ脱の故意があることは明らかであり、被告人が福岡シティ銀行からの二億円の借り入れが実質的な保証債務に当たると思っていたとしても、それは単に所得税ほ脱の動機を形成した事情に過ぎず、故意の成立をゆるがすものではないというべきである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、所得税法二三八条一項に該当するので、所定刑中懲役刑と罰金刑とを併科し、情状により、同条二項を適用し、その所定刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役二年及び罰金五〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは平成七年法律第九一号附則二条一項本文により適用される同法による改正前の刑法一八条により金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により前同刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとする。
(量刑の理由)
本件は、知人の経営する会社に資金援助するための借入金の返済や連帯保証債務の履行のために自己の不動産を売却譲渡した被告人が、右譲渡にかかる所得税一億九五一〇万三七〇〇円をほ脱した事案であるが、その動機は所得税の納付を惜しみ、その納付をできる限り免れようとした利欲的なものであって酌量の余地に乏しい。国民の当然の義務である納税義務を免れることが違法性の高いものであることはもとより、本件ほ脱税額が巨額で、ほ脱率も約九二パーセントと高率であること、取得秘匿の手口は虚偽の契約書や領収書を作成し、税理士事務所の事務員に虚偽の説明をするなどして架空の立退料や保証債務等を経費として計上し、あるいは、偽って事業用資産の買換特例を受けるなど、巧妙かつ悪質であることを併せ考えると被告人の刑事責任は重いというべきである。
他方、所有不動産売却の契機は、知人のための連帯保証債務の履行や知人に対する貸金の貸倒れであり、税理士事務所のずさんな指導がほ脱税額が拡大した一因ともなっていること、被告人に同種前科はなく、当公判廷において反省の情を示し、本件脱税による加算税を計画的に納付する旨誓っていることなど、被告人のために酌むべき事情も認められる。
これら被告人にとって有利不利な一切の事情を総合考慮して主文のとおり刑の量定をした。
(求刑・懲役二年及び罰金七〇〇〇万円)
(裁判長裁判官 仲家暢彦 裁判官 冨田一彦 裁判官 坂本寛)
(別紙)
<省略>